もし自分が

こんにちは、【新潟市の印刷・WEB・企画のなんでも屋】ウィザップ制作部のヒグチです。

日々の愚痴を綴るブログ「グチブロ」にようこそ。

 

 

 

 

 

 

親友の葬儀のため、地元に帰っていた嫁氏さんを空港まで迎えに行った昨夜。

もし自分が

 

 

病気のことは知っていたし快方に向かっているようなことも聞いていたのに、しばらく(半年以上)連絡がないなと思っていたところに突然の訃報だったようで、「なぜもっと早く教えてくれなかったのか」と何度も嫁氏さんは嘆いていました。

 

 

空港からの帰りの車の中で意見が別れたのが、

「もし自分の余命が幾許も無いと分かったとき、友人に会いたいと思うかどうか」

 

嫁氏さんは「会いたい」と答えました。

 

一方でヒグチだったなら…ケースバイケースではあると思いますが…

自分で自由に動けるうちは病気のことは伏せて会いに行くけど、病床に臥す状況になったら会いたくはないかもな、と。

 

相手に気を遣わせたり、哀れみの目で見られるのも嫌だし…

それに根がネガティブなので、友人たちを嫉妬の目で見てしまいそうな気がするのですよ。

 

みんなにはこれからも素敵な出会いがあったり、子供の成長を見届ける機会があったり、自分のやりたいこと、やりたい仕事で夢を叶えるチャンスがあるのに、自分は…自分は…

そんな風に思ってしまいそう。

 

 

でも、今はそう思っていても、いざ本当にその状況になってみたら違うかもしれない。

 

もしかしたら、寂しくて寂しくて毎日でもお見舞いに来て!と思うかもしれない。

可哀想な僕を憐れんで!慰めて!と思うかもしれない。

 

 

それは、そのときにならないと分かりませんよね。

 

 

 

とりあえず、今は後悔のないように生きたいと、それだけです。

 

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