マイノリティが大きな声で主張するとそれが正義になる風潮があるのは事実

 

最近感じるのが、

 

”マイノリティが大きな声で主張するとそれが正義になる風潮がある”

 

というのは事実ですよね。

 

前置きしておきますが、良い悪いの話をしたいわけではないのです。

 

事実としてあるよね、と。それを踏まえて生きていかないと痛い目見ることがあるよ、と。

 

差別とか、ハラスメントとか社会的に問題になる事象では特に顕著です。

 

差別とかハラスメントと感じた人が一人でもいたのであればそうなのかもしれません。

 

個人の感じ方が違うので、他の人からしたら「そんなことで騒ぎ立てることないじゃない……」と思うようなことだったとしても、その人にとっては問題になっているわけだから、対処しないといけないのは絶対です。

 

多様性というかダイバーシティというか、そういう観点からもそれらは受け入れないといけないですよね。

 

主張するのもいと思います。同じように感じている人がいるかもしれないし、仲間がいると精神的にも安らぐだろうし。

 

でも、自分が感じたことを誰しもが同じように感じる、感じてほしい、感じないのはおかしいというような主張はちょっと違うと思うんですよね。

 

それは先にも言ったように、ダイバーシティの時代において、それだと多様性を受け入れるということを否定してしまうことになるから。

 

主張というか、発信というかの仕方は気を付けないといけないなと、最近の傾向を見て反面教師にしようと思っています。

 

でも今の風潮としてはマイノリティが強く主張するとそれが正義かのようになります。統計的、科学的根拠がなかったとしてもね。

 

逆にハラスメントの被害を受ける人たちが出てくるんだろうな、と。

 

マイノリティが間違っているとか少数派だから違うとかそういう世の中ではなくなっている。みんなが同じレベルで理解できればいいけどそうもいかない、それは個人個人によるから、それが多様性だから……という無限ループだな。

 

生きづらい世の中になったものだ。いや、最初から生きづらかったんだよね。それを頭で認識し始めたのが最近というだけでね。

 

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