HAC -9-

こんにちは、ウィザップDTP部のヒグチです。

ヒグチ・アルビレックス・クロニクル「HAC」第9話です。

 

前回はこちら

 

 

1999年Jリーグ2部制、J2がスタートします。

 

当時のJ2はアルビの他に、FC東京川崎フロンターレ大分トリニータコンサドーレ札幌大宮アルディージャモンテディオ山形サガン鳥栖ベガルタ仙台ヴァンフォーレ甲府の10クラブが名を連ねます。

前年のJFLのようなプロアマ混在のリーグではなく、ほとんどがプロ契約。

そしてJ1昇格を目指すクラブのみのリーグです。

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当時の日本サッカーのピラミッド http://aoking.jp/archives/51451407.htmlより

 

そんなアルビ同様、ヒグチにとっても大学進学により上京という、新たな生活のスタートでもありました。

よって、この年からホームではなく、関東近郊でのアウェー観戦がメインになっていきます。

 

 

アルビはJ2参戦を前に大きな決断をしていました。

 

前年JFLを戦った26選手中17名と契約更新をせず、大きな血の入れ替えを断行したのです。

鈴木慎吾、秋葉忠弘、高橋直樹、木澤正徳、鳴尾直軌、瀬戸春樹、吉原慎也、セルジオなどJリーグ経験もある選手も含めた即戦力を獲得し、J2を戦うプロ集団へと変革を図りました。

 

前年から指揮をとっていた永井監督の元、アルビは開幕ダッシュに成功します。

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永井良和監督(1998-2000) アルビレックス新潟11年史より

 

開幕戦・川崎フロンターレを1-0で下すと、堅守速攻をベースに開幕7連勝

前年JFL11位だったチームがJ2序盤の台風の目になったのです。

 

 

その活躍もあってか、ニュースステーション(現 報道ステーション)でも取り上げられました。

 

当時のニュースステーションは、J1だけでなくJ2も積極的に取り上げてくれるので良かったですね。今の報道ステーションは「野球防衛軍」過ぎて見てられないです。サッカーの話題は代表オンリーで、J1を取り上げるのもまれ、J2なんて歯牙にもかけません。

 

 

序盤の快進撃も中盤以降失速し、初のJ2は10クラブ中4位でフィニッシュ。

川崎フロンターレとFC東京がJ1昇格を決めました。

 

ちなみにヒグチは柏、大宮など関東近郊のアウェー4試合を観戦し全敗というありさま。

アルビの勝利を目にすることなく1年を終えます。

 

ただ、初の日本代表の試合(6月6日 キリンカップ@横浜国際 日本 0-0 ベルー)、シドニー五輪代表の試合(7月4日 シドニー五輪アジア地区一次予選@国立 日本五輪代表 11-0 フィリピン五輪代表)を友人たちと観戦するなど、関東ライフを満喫。

 

そして何故か川崎がJ1昇格を決めた試合(11月5日 J2第34節@等々力 川崎フロンターレ 2-1 サガン鳥栖)も生で観ていました…。

 

 

続く

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