立場が違えばそれぞれの正義やルール、価値観があるから「まとめる」ことは不可能でも「まとまる」ことはできるかもしれない

 

最近良く感じること。仕事でもゲームでも時事的なニュースでも。

 

立場が違えばそれぞれの正義やルール、価値観があるので対立関係になりやすい。自分の考えと違えば拒絶反応を起こしますよね。

 

だから、組織的に「まとめる」ってことは不可能だと思っています。

 

でもいろいろ行動した結果「まとまる」ことはできるかもしれないな、って。

 

最近の出来事からそう思うようになりました。

 

意図的に多くの人をまとめるなんてことは誰にもできないです。一国の主だとしても。

 

三國志のドラマ観ていてもそう感じます。君主が絶対のはずですが、家臣から反発や謀反もあるわけで。いつも君主は裏切りにおびえて過ごしている。暗殺されるんじゃないかと。

 

それくらい、権力があったところで「まとめる」ことはできないのだと思っています。

 

国は大きすぎたかもですが、会社50人をまとめた経営者やリーダーの例はあるのでしょうか?私にはわかりませんね。

 

それでも大きすぎる。10人、5人、3人のチームでもまとめることができる人がどれくらいいるか。

 

まとめることはできなくても、ある出来事がきっかけで一気に「まとまる」ことはできすかもしれないです。ある出来事というのは「有事」「期限」「危機感」といった事実や感情を共有した時、つまり「やらざる負えない」出来事を共有した時に多く見受けられる。

 

三國志でも同じ国だけど志が違う政敵が、敵国に責められた際に手を貸してくれることはあります。これは「有事」「危機感」の共有ができたから手を取り合って「まとまる」ことができた。

誰も「まとめた」わけではないですね。

 

ゲームでも長期イベントが終わりそうなときに、あれだけもめていた仲間が「まとまった」のです。これは「有事」「期限」の共有だとおもいます。

心情的にまとまったのではなく、行動ベースで同じ方向を向くことができた。

 

何をもって「まとめる」「まとまる」と定義するかはその時々で変わると思うので何とも言えないですが、本来は心情的な部分が大きいと思います。

 

何事もやってみないと結果は得られないよ~ということを強く感じます。

 

 

 

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