地方の教育格差という言葉だけでは表現できないくらいの潜在的な問題が世の中にはある

格差社会と言われていますが、「格差」という言葉の定義を改めて知っておく必要があると思います。

 

格差(かくさ)とは、同類のものの間における、程度(水準・資格・等級・価格・格付け、レベル)などの差や違いである。 また、社会問題の一つとしての意味合いを込めても用いられる語であり、貧富の差(経済格差)などを意味しても用いられる。

そんなことを思わされたのはこの記事を読んだから。

 

 

地方の教育格差の問題について。

田舎の青森から京都大学に進学して肌身で感じた生まれながらにしての格差について書かれています。

でも、教育格差という言葉だけでは表現しきれない根深い問題が世の中にはあると思いました。

 

みんながみんな平等に権利を与えられないなんてことは当たり前のように思っています。だからこそ、他人にはできないことが自分にはできたりするわけです。

選択肢が無ければないなりに今目の前にある材料でどう生きていくのか選択します。

 

とはいえ、最初から別の環境が用意されていたらそれはそれでその環境下で今とは違う道を生きていくわけで。

どの道が良くてどの道が悪いという事はないけど、生まれながらにして環境に格差があることを認識していればその問題には対処できる(または諦める)と。

 

人生において平等なんてことはないという事を認識していればある程度の事には腹は立てないし生きていけると思います。

今ある環境やモノで自分がどう豊かに過ごしていけるか考えていけばいいだけだと思います。

教育格差はもちろんある。難しい話題ですがネガティブに考えるよりもポジティブに捉えたいですね。

 

地方で、限定的な教育下で生きた経験からでしか得られないものは必ずあるので。

 

 

今回の記事を読んでこの記事を思い出しました。

 

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

これも似たような話です。

読み物としても面白いし、考えさせられます。

 

 

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