人間は分かり合えない。では、どうやってコミュニケーションを取り仕事をすればいいのか。

人間は分かり合えない

とつぜん物騒な見出しで始まった今日のブログですが、大前提にこれを置いておかないと話が通らないのでこれをまず肝に銘じてください。人間は分かり合えません。よく「わかる~」っていう会話の返しありますよね。「わかる〜」を使うことは別にいいんですがその「わかる~」はただの相槌です。リズミカルな合いの手です。合いの手以上の意味はありません。だってわかってませんから。

 

小袋ワサビに関する「嫌」

私と友人が回転寿司に行ったときの話です。小袋に入ったわさび、ありますよね。あれに関して私が「小袋タイプのワサビ開けるの嫌なんだよね」と言いました。友人は「分かるわ」と言いました。その後自分は「袋を開けたときにできる切れ端にワサビが残ってて、その後空になった袋のゴミをテーブルに置いたりするとテーブルにワサビがちょっと付いて嫌なんだよね」と言いました。友人は「あっそっちか俺袋開けたときに飛び散るのが嫌だったわ。分かってなかったわ」と言いました。

このように、「小袋のワサビの嫌なポイント」だけで2パターン発生するわけです。街頭インタビューでもすればさらにパターンは多いかもしれません。だから、最初に私が「小袋タイプのワサビ開けるの嫌なんだよね」と言った時点では、私と友人は分かり合っていないわけです。その後の会話ですれ違いは判明しました。でも、私が説明した嫌という感情について友人は100%理解したと言えるでしょうか? 逆に友人が説明した嫌な点を私は完全に理解したでしょうか?

それは証明することができません。私が思っていることと友人が思っている「私が思っていること」が完全に一致していると証明するのは不可能です

 

 

逆転クオリア

逆転クオリア、ご存知でしょうか。思考実験の一種ですが、概要はこうです。例えば「同じ周波数の光を受け取る異なる人間は、同じ質感を経験しているのか、ひょっとすると別の質感を経験しているのか」というものです。難しいですね。

よく熟した赤いトマトがあるとしましょう。あなたはこれを図の左のように感じています。一方で別の人は、図の右のように感じています。

 

両者は同様に「熟した赤いトマト」であると理解しています。でも、感じている質感が全く別なのではないか? というものです。

この逆転クオリアに関しては「そもそもモノの質感が反転している人がいたとして、それを判別することはできないのだからそれを論じるのは無意味」という反論ができます。個人の感じる質感がまったく異なっていたとしてもそれを判別することはできないし、判別できないということはコミュニケーション上も齟齬が起きない。であれば、人はその内側で何を感じていようと、人の外側にある「よく熟れたトマト」に関しては共通の理解ができる、という言えるはずです。ここ超大事です

 

 

歴史(例えばキューバ危機)

人は歴史を繰り返すというフレーズは使い古されています。が、使います。特に悪い歴史ほど繰り返します。互いの「ちがい」が生み出す悲劇、惨禍は後をたちません。

そういった歴史において必ず起きている事象は、「そうは思っていない」「そんなことは言ってない」など、自分の内側にあるものと相手の内側にあるもののズレによるトラブルではないでしょうか。

1962年の10月1日、ソ連の核魚雷を積んだ潜水艦4隻はアメリカの設定した海上封鎖線近くを通ってキューバの港に向かう際「もし攻撃を受けたら核魚雷を発射しろ」という口頭命令を受けていました。一方アメリカ海軍は、その潜水艦を発見し、海域を離れるように警告しても従わない場合は被害のない程度の爆雷を投下し、警告することになっていました。

そして実際に潜水艦が発見され、アメリカ海軍はソ連海軍のフォックストロット型潜水艦B-59に対して爆雷を海中投下しました。B-59内部では攻撃を受けたことで核魚雷の発射が決定されそうになりましたが、将校であるヴァシーリイ・アルヒーポフがそれを強く反対し、B-59は浮上して交戦の意思がないことを表明し、海上封鎖線を離れていきました。

アメリカ海軍の、攻撃ではなく警告という態度はソ連の潜水艦には伝わらず、あわや核戦争寸前で現場の将校がそれを止めたとうことです。もしアルヒーポフがB-59潜水艦に乗っていなかったら?

 

 

「気持ちが伝わるだろう」は実現しない

キューバ危機におけるこのすれ違いは人類史上でもトップ5のすれ違いに入ると思います。国家間ですらこのようなことが起きるのです。「攻撃にならない程度の警告」なんて感情は伝わらないのです。

規模は違えど、こういうすれ違いは誰でも経験しているはずです。あなたのために……と黙ってやったことで、その相手が激怒するのはすれ違いです。なんでもないことをしたらすごく喜ばれるのも、ある意味すれ違いです。でもどちらかと言えば、人間関係や仕事上でマイナスなすれ違いの方がはるかに多い気がします。

 

 

共通に理解できるのは物体と記号だけ

人の内側にある「気持ち」が伝わらないとしたら、私たちをかろうじて繋ぎ止めるものは物体と記号のみではないでしょうか。

そこに熟れたトマトがあるという事象は私にもあなたにも理解できます。

熟れたトマトを見て、美味しそうと感じるか、嫌いなトマトだと感じるか、投げつけてやりたいと思うか、そういうことは個々人で全く異なります。その個々人で異なる美味しそうとか投げつけたいとかいう思いを文字という記号で表現したとき、その記号の意味だけは共通に理解できます。でも「投げつけたい」という文字から「誰に」「どんなふうに」といったことは理解できません。ただ「投げつけたい」とうことだけが理解できます。

そうやって伝えようとしてどんどん記号と物体を用意して積み重ねていっても、その記号や物体で表現しようとしている本人のことを100%理解することは不可能です。というより、100%理解したと証明することができません。

 

 

だから、人間は分かり合えません。もうおしまい?

 

 

じゃあ私たちはどうやって仕事すればいいんだろう

ここからがようやく本題です

今日のブログはこれが書きたかった。ここまで全部前置き、「人間は分かり合えない」という前提の説明です。この長文で読むことを諦めてブラウザバックしている人もいることでしょう。

 

ここまで読んでいるあなた、あなたにこそ伝えたい。なんとかして私の思いの1%でも伝えたい。

そのためにまた、記号を積み重ねます。

 

 

別に100%の理解は仕事には必要ない

私は、仕事で人が100%理解し合う必要なんてないと考えています。先ほどから書いている通りそもそもそれは不可能なんですが仕事上で伝えるべきはやはり「物体と記号」だと思います。

 

例えば、「2月12日の金曜日までに、20,000枚のA4両面カラー印刷の折込チラシをA社に納品する」

というのは疑いようもない文章です。(細かい仕様とかもっと書くこともできますが今はちょっとブログのために省いてます)読んだ人間はどういうものを作り何をすべきかはっきりと理解できます。そして理解した通りの行動をすれば、無事にチラシが納品できます。つまり、仕事が成功します

「2月12日の……」の文章を書いた人がどんな想いで、などということは伝わりません、伝わらないけれど、仕事は成功します。十分です。

 

この例えを読まれた方は「当たり前だろ」と私のことをバカにしていることでしょう。いや、それは私の思い込みですね。私がこれを読んだ人の感じる気持ちなど理解できるはずもありません。それはそれとして。

 

現実の仕事で、この「はっきりとした記号での連絡」どれだけしているんだろう? ということです。さっきの「2月12日の……」の文章を、次のように伝えるとどうなるでしょうか?

「週末までにカラーの折り込みチラシ20,000枚をウチに納品」

Q.週末っていつのことですか?
A.会社に納品するんだから、営業日の金曜日までに決まっているだろ!
(いや、土曜日だって週末じゃないですか)

Q.チラシのサイズは?
A.折り込みチラシって言ったらA4だろ!
(いや、いろんなサイズのチラシありますって)

Q.納品場所はどこですか?
A.依頼主の会社に決まってるだろ!
(いや、そうじゃない場合もあるじゃないですか)

こういうすれ違い、毎日どこかしらで発生していると思います。この例だと依頼主さんが悪いかのように書いてしまいましたが逆もまた然り。新規のお客様にたいして、お客様が業界の用語や慣例を知っている前提で話してしまい向こうがなんとなく頷いたので「理解したと思って」、最後にすれ違いが表面化して破綻する

 

伝わっていると思ったら伝わっていなかった、という事例が身の回りに常にあるぞ、ということが伝わっていたら幸いです

 

 

なにを伝えればいいのか

では、私たちが仕事を成功させるためには何を伝えたらいいのでしょうか。

それはやはり「物体と記号」です。具体的に書きます。

●文字
文字は、言葉という音を、線の組み合わせで形にした物体です。口頭よりも文面が良いというのは周知のことでしょうが、それは文字が音とは違って形に残る物体だからです。音は消えます。形は音よりもかなり消えにくいです。

●数字
ほぼ間違いなく伝わる記号の筆頭。1といったら一で壱でoneです。トマトが一つです。私が一人です。10と言ったら10だし100と言ったら100です。2021年の2月12日といったら2021年の2月12日です。さらにこれを音ではなく文字という物体に残すと、ぐうの音も出ないほど伝わります。

●現物、本物
百聞は一見に如かず。トマトを伝えたくて赤くて丸い野菜……と文字にするよりも、目の前にトマトを持ってきた方が確実に伝わります。よくあるサイズの折り込みチラシを表現したければあれこれ言うよりも、よくある折り込みチラシを実際に用意すればいいのです。

 

(●写真や動画)
現物には劣りますが、人間は技術を生み出して現物に近い状態のものを伝える手段を開発しました。写真や動画は、現物の光の情報を捉え、二次元に記録した物体を作ります。何も用意せず伝えようとするより、遥かに優れた方法です。

 

これらを伝えれば、仕事上の理解の不足は減るのではないでしょうか。職種によって上記以外のものもあるとは思います。しかし、それでもやはり「物体と記号」は変わらない原則だと考えています。

 

 

伝わっていそうで伝わらない、下記の使用を止める

下記のものは「伝わったでしょ~」と思いこみそうになる危険物です。仕事上で使用を減らせば、危ないミスやトラブルが減るかもしれません。

▶︎指示語
これ、あれ、などの言葉のことです。さっき私が書いたことに関して言えば、これはその原則にあてはまりません。

↑下線部、何言ってるのか意味わからないですよね。さっき私が書いたこと、は「物体と記号を伝える」ということです。これはその原則にあてはまりません、は「指示後は記号を伝えるべきという原則にあてはまらない」です。

指示後は便利ですが、使用にあたっては指示する内容のすぐ近くで使うことを心がけるべきです。その結果、話や文章が多少冗長になるかもしれません。でも、ミスやトラブルに比べたら小さなことです。

指示語はよく使ってしまいます。私も使います。なので使った瞬間に、すぐ訂正しましょう。

 

▶︎「常識的に考えて」「普通に」

超絶便利な言葉ですが、何も伝わりません。なぜか。常識や普通といった概念は物体や記号ではなく、人の内側に存在するものだからです。

何度も書きますが、他人と共通に理解できるのは、人の外側にある物体や記号だけです。

常識や普通というのは個人の内側にあるものです。それは、他人には絶対に理解できませんし伝わりません。

「常識で考えてやってね」というのは「あなたの勝手にしてね」に等しい言葉です。なのに後から「俺が思っていたのと違う、常識的じゃない」などと言っても無駄です。あなたの常識とわたしの常識が同じであるか証明することすらできないのですから。

常識や普通というフレーズを仕事で多用しているとしたら明日からやめるべきです。2021年2月13日(土)の0:00からやめるべきです。やめてください。なにも伝わってませんから。物体と記号で連絡してください。

ちょっと熱くなってしまった。(でも私がどういう思いか100%理解できる人は誰もいない。それが普通。ヤベッ普通って使ってしまった。やめるべき

 

 

最後に

この記事を読んで、「機械になれってこと?」と考える方がいらっしゃるかもしれませんが、私にそのつもりはありません。

感情のない機械にできる仕事は非常に限られています。感情があるから、私たちは励まし合いサポートし合い、よいモチベーション、よいコンディションで仕事ができます。

 

仕事では、感情で連絡し合うのをやめましょう。なぜなら、人の内側にある感情は絶対に伝わらないから。

 

仕事では、物体と記号で揺るがない連絡をしましょう。なぜなら、人の外側にある物体と記号は、全員で共通に理解できるから。

 

 

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